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斎藤隆夫記念館「静思堂」

 大正から昭和前期にかけて活躍した不撓不屈ふとうふくつの政治家。古い政治記者から「ねずみの殿様」「憲政の神様」と称される。豊岡市出石町中村なかむらの農家の末っ子として生まれた。わずかな旅費を懐に東京まで歩いて上京し、早稲田大学の行政科を首席優等で卒業、苦難の末に弁護士を開業した。
 1912年(明治45)に、第11回総選挙が行われ、原六郎はらろくろうと旧知の間柄だった斎藤隆夫に白羽の矢がたつ。当選順位は兵庫県内の定員11人中最下位であったが、政界進出へのスタートを切った。
 1940年(昭和15)2月、隆夫は「支那事変を中心とした質問演説」の中で、「聖戦などと言ってもそれは空虚な偽善である」と、当時タブーとされていた軍部を痛烈に批判。この演説は「聖戦を冒涜ぼうとくするものだ」と陸軍の反感をかい、懲罰委員会にかけられると言う大事件に発展し、離党。衆議院議員を除名処分となった。その後、1942年(昭和17)に総選挙が行われ、激しい妨害にあう中、見事最高点で当選する。終戦後、解散した衆議院の選挙でも、最高点で当選。80年の生涯の中で、国会議員13期、国務大臣に2度就任した。
 演説には定評があり、彼の国会における名演説は3つあると言われている。1つ目は1925年(大正14)の普通選挙法に対する賛成演説であり、2つ目は1936年(昭和11)の粛軍演説。そして3つ目は1940年(昭和15)の支那事変処理に関する質問演説。演説に際しては原稿を持たず、数日前に脱稿し、庭を散歩しながら完全に暗記したと言う。その遺徳を偲び、生地には斎藤隆夫記念館「静思堂」が建てられている。

所在地
文化財指定
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備考 豊岡市出石町生まれ
(1870〜1949)

(見学可能施設)
斎藤隆夫記念館 静思堂
TEL0796-52-5643